5月17日(月) 宇都宮 最高気温27.9℃ | |||||||
春の野菜の蕗は、私の大好物だ。 今年の春は夕食に3回登場した。 ほんの少し、苦みもあり、春の香りがするよね。 きのう地産地消のお店で、こごみが売っていた。 生のこごみを見るのは始めてだった。 シダの仲間で、若葉がくるくると前にかがみこごんでいる様子から「こごみ」と呼ばれる。 山菜というとアクをとるのが面倒だが、これは、さっと塩茹でだけ。。
主人が喜ぶ蕗のきんぴらを作ったが、1把だけだと、あっという間になくなってしまう。 | 蕗の葉の佃煮は、かなり苦みがあって、私にとっては、これが美味しいと感じるのだが、 苦みが苦手の主人は、全然食べない。 レシピは → ここ 炊きたてのご飯に、蕗の佃煮があると、ついつい食べ過ぎてしまう私だ。
こごみは、料理した事がないので、インターネット検索で調べてみた。 | 茹でて、お浸しとか胡麻和え、白和えが一般的なレシピらしい。 てんぷらが美味しいとの事だったので、きのうはてんぷらにしてみた。 最近の市販のてんぷら粉は、からりと揚がるので、失敗知らずで助かる〜〜 昔は小麦粉、卵、それに氷水で てんぷら粉を作っていたけどね。 そして、今日は茹でたこごみと海老のマヨネーズ和えを作ってみた。 マヨネーズに少量の醤油、酢、練りからしを足して、和えてみたら美味しかった〜 茹でたこごみ、特に茎の部分は、ぬめりが出ると分かった。 茎を細かく切ると、もっとネバネバしてくる。納豆のように辛子醤油で食べてみた。 今の季節しか食べられないこごみなので、また買ってこようと思った。
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5月4日(火) 小樽 | |||
妹の家で、きのうは、久しぶりに熟睡出来た。 目覚めはバッチリ! 睡眠不足気味の日が続いていたので、これで疲れが少し取れた。 朝早くて申し訳なかったが、駅まで車で送ってもらった。 7時34分発に乗る積もりだったが、18分発のエアポート80号(新千歳空港行)に 間に合った。ゴールデンウィーク中なので、座れるかなと心配だったが、 早朝だったせいで、座席はガラガラだった。 ホッ! 電車の中で、あわただしかった日々を思いおこし、色々考えた。 これからひとり暮らしになる姉の事を思うと辛い気持ちになった。 どんなに寂しい日々になるのかと、心配だが、娘夫婦と孫が3人、同じ小樽に 住んでいるし、妹とも連絡を取り合ってささえてもらっているので心強い。 離れて暮らす私が出来る事は、電話で励ます事ぐらいだけど。。。
出発まで、かなりの時間があったので、楽しみにしていた小樽の老舗の蒲鉾屋さんの | 「かま栄」の揚げたて熱々のパンロールを食べた。 外側のパンがカリカリ! 中のすり身との相性もバッチリ! 抜群に美味しい〜〜 北海道出身の大泉洋がテレビで紹介したのが、きっかけで有名になったらしい。 6種類の揚げかまぼこを選んで買ってきた。 これで¥1160だった。 夕食に温めて食べたが「かま栄のかまぼこ」は、最高だと主人も大満足の様子だった。 |
5月3日(月) 小樽 | |||
お通夜、告別式が無事に終わった。 71歳という若さで亡くなったので、悲しい別れとなった。 姉は早過ぎると涙にくれていたが「やりたい事を貫き通した人なので、 幸せだったと思う」と自分に云いきかせている様だった。 千葉に住む次女は、亡くなる前日に、もう話す事が出来なくなった父親と対面した。 2年近く小樽に帰っていなかったと後悔し、何回も大泣きし目を腫らしていた。 「あまり泣いて悲しんでいるとお父さんが心配するよ、親は子供が幸せに 暮らしていれば、それで満足なんだよ」とみんなから慰められていた。
告別式が済み、荼毘(火葬)に付され斎場まで戻ってきた。 | 初七日の法要も終わり、夕食にと豪華な折り詰めを持たせてくれた。 妹の家に戻り、折りとお刺身と美味しい日本酒を飲みながら、思い出話しをした。 「あやか」というお酒は、先月、妹夫婦が層雲峡にバスツアーで行った時に 酒蔵めぐりをして買ってきたお酒だとか。。 フルーティで飲みやすく、ほとんど私が飲んでしまった。(笑) ごめんさい。 |
5月2日(日) 小樽 | |||||
4月30日、義兄(71歳)が、亡くなったと妹から知らせがあった。 体調が悪かった義兄が病院へ診察に行き、即入院と言われたのが2年前。 治療法も確立していない難病に指定されている肝臓の病気だと聞いていた。 その後、退院して食事療法を続けていた。 3月半ば、胆石のために入院したが、肝機能も悪くなっているので、手術は無理と 云われ、管を通して石を出す方法で治療を受けていたのだが。。。 義兄は治って退院出来ると思っていたので、退院する時に着る洋服は、 次女がプレゼントしてくれた服と決め、姉に病院に持って来させたらしい。 その思いも届かなかったと思うと悲しい。 今回もだったが、昨年の8月、主人の母のお葬式の時も、離れて暮らす私達は 急に切符を取るのがひと苦労だ。 連休の時、お盆、年末、年始は特に取りづらい。 ゴールデンウィークまっただ中なので、飛行機の切符が取れないのではと心配したが、 行きが2日、帰りが4日なら、どうにか空席が残っていた。 宇都宮を7時34分に発ち、小樽の斎場に着いたのは3時を過ぎていた。
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まだ準備中だったが、お通夜が始まる前にと、祭壇の写真を撮った。 | 書道、茶道、短歌そして骨董品収集と趣味の広い義兄だったので、ご供花などが、 たくさん飾られていた。 特に書道は「北海道書道連盟」の役員を務めていたとか。。。 小樽の俳人、正部家一夫さんの句を義兄が書き、小樽運河公園の石碑に刻まれ昨年の 6月2日に除幕式があり、夫婦で参加して嬉しそうだったと妹から聞いていた。 その時の様子は2009年6月9日の日記に書いてある。 私達が小樽に帰ると母と姉妹夫婦と7人で温泉旅行に出掛けたりしたと思い出して涙。。 i |